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まもなく不惑の女が惑いまくる様を記録する日記。

「失敗タウン」に立ち寄り続けるしかない

先日、ジェーン・スー氏がラジオ「生活は踊る」で言っていた「失敗タウン」。

ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~

失敗が怖くなくなるには、失敗を経験するしかない。成功し続けていたら、失敗がますます怖くなる。失敗しても大丈夫、ということを、体験し続けるしかない。「失敗タウン」に定住する訳ではなく、ときどき立ち寄ってしまうけど、ちゃんと帰還してまた生活する。でもそれで良いし、それしかないのだ。

という趣旨の話だったと理解。

全くその通り。なのだけど、本日仕事の中で失敗タウンに実は立ち寄っていた、ということ把握してから、胃が痛い…その失敗も、まあまあ重い失敗なので、ダメージ大。

次に似たようなことかあったときに、同じ轍を踏まないようにせねば、と強く決意した。というところは、まぁ前向きで良いんだけど、どうしても失敗すると「周りの人になんて思われただろうか」「こいつ使えないなと思われたんじゃないか」「怒っているのではないか」「迷惑をかけて本当に申し訳ない」「うまくやれなくて恥ずかしい」「どうしよう」「なぜやってしまったのか」「なんて自分はだめなんだ」という思考や感情でいっぱいになり、胃のあたりがぎゅーーーーーっとなる。

こういう反応になるのは、根底に「完璧でありたい」「完璧であらねばならない」という信念があるからなのだろうな、と理解しているのだけど、理解したところでこの完璧主義的な構えはなかなか取れない。

なぜ完璧主義になったのか、を考えると、小さい頃から失敗をあんまり経験してこなかったからなのではないか…とおもう。自慢かよ。でもそうなのだ、たぶん。ありがたいことに。

そして、ほとんど失敗したことのなかった人間が、高校生の時に大大大失敗をして、それ以来、できない自分を突きつけられるのが本当にしんどくなった。

やりたいことをやってみたくて、周りからも期待されて、大役を任されて、でも実際にやってみたら、本当に全く何にも出来なかった。まさかこんなにできないとは自分でも思ってなくて、どうしたらいいのか、どうしたら役割を全うできるかが分からなくて、先輩に相談しても結局どうしたらいいかが見えなくて、期待を裏切ったことで周りとの関係もめちゃくちゃ悪くなって、うつっぽくなってますます頭が回らなくなって、オドオドビクビクして、孤立して、心無いことを言われて、死のうとしたけど試しにやった方法は死ぬには無理で失敗した。失敗した直後、高校で配られたリーフレットに書いてあった電話相談の番号に「死にたい」と電話してみたけど、「この相談員は、相手がこどもだからって、うまくいいくるめられると思っているのだろうな」と感じるような、死なないための浅い助言をされて、諦めて、「分かりました、ありがとうございました」と優等生に戻って電話を切った。きっと今の相談員は、子どもを一人救えたと思ってさぞや満足しているだろう、と思った。

いろいろなことを諦める気持ちになったので、死ぬのも諦めて、その後は偶然知ったエンターテイメントの力に救われて、死なずに今まで生きてこれたけど、今でもどうやらあの時の、もう20年以上も前の出来事が、トラウマのように私の心に巣食っているらしい。それでますます完璧主義に拍車がかかる、ということのようだ。

失敗が怖い。失敗することで、人に迷惑をかけること、人から「できないやつ」と思われること、人との関係が悪化することが怖い。表面上うまく人と関わるスキルは無駄にあるので、対人トラブルを起こすことはないけれど、常に「相手にどう思われているんだろう」ということは気になるし、心の底では「もしかしたら、私のこと、良く思ってないんじゃないか」という疑心暗鬼は通奏低音のように常にある。とにかく悪くは思われたくないので、八方美人になる。

そういう表層に出てきている特徴には自覚的だったつもりだ。でも、その背景として、20年前の失敗体験が未だにこんなに生々しく自分の心のメカニズムに寄与している可能性がある、ということを、この日記を書くことでようやく気づいた。そうか、あれは私にとって、本当にトラウマになっていたのだな。

仮にトラウマだったとしても、たぶん、やるべきことは変わらない。失敗しても大丈夫だ、という経験を積み重ねることだ。実際、今まで10年以上働く中で、大なり小なり失敗してきた。大丈夫、とまではまだ全然思えていないけど、クビにはならず、同僚から心無い言葉を言われることなく、仕事を続けていることは事実だ。そこは認めてやらなくちゃ、さすがに自分に厳しすぎるだろう。

そんなわけで、失敗タウンには、やっぱり時々立ち寄り続けるしかない。そして、ちゃんと帰還する。負けへんで、の精神で、明日も仕事に行く。